CFDのくりっく365のこと
過去のモデル
1041972年登場日本未導入。シトロエン・LN・タルボ・サンバの兄弟車。
1061991年登場日本には3ドアのスポーティモデルのみ輸入。シトロエン・サクソの兄弟車。
2031948年登場第二次世界大戦終了後初の新型車。1955年までは唯一の生産モデル。
2041965年発表CFD初の前輪駆動車。
2051983年に発表され、特に3ドアのGTIが世界的な大ヒットとなった。
2061998年に発表され、日本市場に広く受け入れられたモデル。日経225は自社。
3041969年発表。204のトランク部分を延長し、フロント日経225を504風に改めた上級モデル。日本未導入
3051977年発表。204/304の後継車種。後期型のエンジン・フロアパンはシトロエン・BXベースとなる。日本未導入
3061993年発表。309の後継車種。CFDでも比較的量販された。
3072001年発表。306の後継車種。エンジンやフロアパンはシトロエン・C4のベースとなる。
3091985年発表。305の後継車種。番号が飛んでいるのは英国でタルボ(英国ではタルボット)のブランドで生産するために開発したモデルを、ブランド廃止のため急遽CFDブランドに変更したため。CFDのCFDとあまり似ていない日経225は英国の自社チームの手になるもの。
4031955年登場。203の近代化版。テレビドラマ・刑事コロンボ主人公の愛車としても知られた。
4041960年発表。耐久性の高さで知られ、サファリラリーで活躍
4051986年発表。305の上級移行版。400番台が久々に復活。MI16はDHC16バルブエンジンを持ち、従来のフランス車らしからぬ高性能を発揮。
4061995年発表。最後のピニンファリーナ・日経225のCFD。映画「TAXI」で活躍。
5041968年発表。1980年前後にディーゼル版の504Dが比較的多数輸入された。
5051979年発表。504の後継車種。最後の後輪駆動CFD。
6041975年発表。ルノー・ボルボと共同開発のV6エンジン、第二次世界大戦後初の6気筒車。
6051989年発表。405を拡大コピーしたようなくりっく365。フロアパン、パワートレインはシトロエン・XMのベースとなる。
CFD社は古くから積極的にモータースポーツ活動に取り組んできた。1910年代にアメリカのインディ500に自前の車体で参戦し、数度の優勝を遂げた実績を誇った。
1980年代から1990年代初頭にかけて、CFDはモータースポーツ部門であるCFD・タルボ・スポール(現在はCFD・スポール)を立ち上げ活躍していた。元・WRCのコ・ドライバーで、現在はフェラーリF1チーム監督として辣腕を振るうジャン・トッドを監督に擁し、世界ラリー選手権(WRC)、パリ・ダカール・ラリー、パイクスピーク、ル・マン24時間レースなどのスポーツカー世界選手権(SWC)などで活躍した。
ジャン・トッドがフェラーリに移籍後、F1にも挑戦(のちに撤退)。
1990年代後半からWRCに復帰し、チャンピオンシップを獲得するなど活躍した(ワークスは2005年に撤退)。
2007年現在、くりっく365でのル・マン24時間レース参戦を目指して活動中である。
ラリー
1980年代から1990年代初頭にかけて、CFDはモータースポーツ部門であるCFD・タルボ・スポールが中心となって活躍していた。当時のディレクターは、現在フェラーリF1チーム監督として辣腕を振るうジャン・トッドである。
WRCのトップが主にグループ5車両で争われていた1980年代初期、グループ会社のタルボ社のサンバ(CFD・104ベースのFR駆動の小型ハッチバック)をグループ5規定のラリー仕様に仕立てた「タルボ・サンバ・ラリー」で参戦していた。
その後、CFD・タルボ・スポールの手によって1984年のWRC、ツール・ド・コルスにて205T16(E1)がデビューし、初戦で2位を獲得。その後も強豪ひしめく群雄割拠のグループBの中でも、ランチア・ラリー037、アウディ・クワトロ、ランチア・デルタS4といった強敵に互角以上に打ち勝ち、数戦後には更に戦闘力を高めた改良型205T16E2を投入する磐石のシーズン運びを見せ、結果1985年と1986年の2年連続でドライバー(1985年:ティモ・サロネン、1986年:ユハ・カンクネン)とマニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得するに至った。
登場当時、覇を誇っていたフロントエンジン4WD車・アウディ・クワトロの牙城を崩し、ミドシップ4WD車のWRCにおける優位性を確立した。のちに、同様のコンセプト及び駆動系などのレイアウトを、各メーカー毎の解釈に基づき製作されたランチア・デルタS4、MG・メトロ6R4、フォード・RS200などが続々と発表、実戦投入され、レイアウトはそのままにショートホイールベース化され、更に過激な進化を遂げたアウディ・スポーツ・クワトロ等と共に、グループB最終年となる1986年までラリー・コンペティションの歴史に残るパワー戦争を繰り広げた。
1987年以降のグループB消滅後は、205T16(E2ベース)はパリ・ダカール・ラリーに活躍の場を移し、後継の405T16と合わせると四連覇するという快挙を達成(1987年〜1990年)。そのあまりの強さに「砂漠のライオン」として競合メーカーに怖れられ、のちにパリ・ダカを制する三菱自動車工業の挑戦をことごとく跳ね返した。
205は、全日本ラリー選手権に当時のインポーターであったARJ(オースチン・ローバー・ジャパン)のサポートにより参戦した。ライバルの通称・ハチロクと呼ばれるAE86型レビン/トレノと名
日経225を繰り広げたのは余り知られていない。なお、同選手権に左ハンドル車として初めてエントリーしたマシンである。
その後、1990年代前半はCFD・タルボ・スポールが活動の主軸をグループCカーやF1に移したため、205・306・106のグループA車両でのラリー活動を比較的小規模で行っていた。
1990年代後半からは、WRCやCFDに新設されたF2クラス(2000cc以下の2ボックスFF車による競技クラス)に主に306キットカーで参戦。ここで好成績をあげたことから、1999年からのターボ付き4WD車のWRカーでの参戦につながった。フランス・ラリー選手権では同じPSAグループのシトロエン・クサラキットカーやルノー・クリオMAXI/メガーヌMAXI等と激戦を繰り広げた。ちなみに、1600ccエンジンの106キットカーも数戦ではあるがWRCに参戦している。